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最高裁判所第二小法廷 平成元年(オ)548号 判決 1993年1月25日

上告人

小山利雄

小山てる

小山千代

右三名訴訟代理人弁護士

有賀信勇

横田雄一

駒場豊

一瀬敬一郎

被上告人

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

中村誠

被上告人

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

野本聰文

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人有賀信勇、同横田雄一、同駒場豊、同一瀬敬一郎の上告理由第一について

所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原判決の結論に影響のない説示部分につき、原審の認定しない事実に基づき又は原判決を正解しないでこれを論難するものにすぎず、採用することができない。

同第二、第三について

逮捕状は発付されたが、被疑者が逃亡中のため、逮捕状の執行ができず、逮捕状の更新が繰り返されているにすぎない時点で、被疑者の近親者が、被疑者のアリバイの存在を理由に、逮捕状の請求、発付における捜査機関又は令状発付裁判官の被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があったとする判断の違法性を主張して、国家賠償を請求することは許されないものと解するのが相当である。けだし、右の時点において前記の各判断の違法性の有無の審理を裁判所に求めることができるものとすれば、その目的及び性質に照らし密行性が要求される捜査の遂行に重大な支障を来す結果となるのであって、これは現行法制度の予定するところではないといわなければならないからである。右と同旨の見解に立ち、上告人らによる国家賠償の請求は許されないことを理由として、上告人らの本訴請求を棄却すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、独自の見解に立って原審の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤島昭 裁判官中島敏次郎 裁判官木崎良平 裁判官大西勝也)

上告代理人有賀信勇、同横田雄一、同駒場豊、同一瀬敬一郎の上告理由

原判決は、「今後引き続き刑事手続きの進行が予想されている段階にあっては、国家賠償請求訴訟において、犯罪の嫌疑の有無についての捜査機関又は令状発付裁判官の判断若しくはこれに基づく行為をとらえて違法であると主張して、それにより受けた損害の賠償を請求することはできないとするのが相当である」旨判示するが、その理由とするところは、逮捕状の請求、発付および執行に関する刑事訴訟法および同規則の解釈を誤り、あるいは捜査の密行性に捕らわれ過ぎて、国民の裁判を受ける権利についての解釈の誤り、ひいては憲法三一条ないし三三条に違反するものであって、破棄されなければならない。以下詳論する。

第一、逮捕状発付の際の捜査に対する司法的抑制の機能について<省略>

第二、国民の裁判を受ける権利について

一、次に、原判決は、刑事訴訟と民事訴訟との関係について、刑事手続きの進行中の場合には、犯罪事実の存否に関する判断等の違法性については、刑事手続法規に基づく審査が優先される旨判示するが、この点についても違法が存在する。

まず、原判決のいう「進行中」という概念が何を意味するのか必ずしも明らかでないが、他の場所に「刑事手続の終結」という表現があり、更に、別の部所では、「刑事の無罪判決が確定し、あるいは、犯罪の嫌疑がないことを理由として不起訴処分になる等、当該被疑事実についての刑事手続が完結すれば格別」との表現が用いられているところから判断すると、原判決の「進行中」という概念は極めて広いものであり、裏返せば、捜査過程の違法性に関して民事訴訟を提起しうる可能性は極めて限定されたものとされる。

しかしながら、例えば、犯罪の嫌疑が存在しないにもかかわらず、誤って起訴猶予処分とされているような場合は、事件は「終結」したといえるのであろうか。原判決の右表現に従う限り、事件はまだ「進行中」で、右捜査機関の判断の違法性を前提とする民事訴訟は提起しえないものと解する外はない。これはどう見ても不合理である。

二、原判決は右判断の前提として、民事訴訟手続においては、弁論主義および公開主義が支配するから、このようなことを認めると、証拠資料全てを提示することによって捜査の密行性が犯されるか、提出を拒否することによって当事者対等の原則が崩されるか、のジレンマに陥る事態が出来する旨説示する。

しかし、捜査機関の手持ち証拠を見るまでもなく、一見明らかに犯罪が成立しない場合、あるいは、一方の証拠のみでアリバイの存在等が明らかの場合等においては、何等右のようなジレンマは生じないはずである。

本件は、その極めて希有な事例に属するものであって、「刑事手続の完結」前に、犯罪の嫌疑の存否についての判断が可能なのである。

又、刑事訴訟と民事訴訟とは、その目的、機能および手続きを異にするものであり、従って、同一の事例に対して相互に判断を異にすることは一向にかまわない筈である。

原判決は、一律に、かつ一方的に、論断することによって、民事訴訟による救済の機会を著しく狭めているものであり、憲法三二条に保障された裁判を受ける権利を否定するものである。第三、法制の過誤と救済を受ける権利について

本来、刑事手続上の過誤は、刑事手続によって早急に救済される方法が存在するべきものであろう。

しかし、強制捜査の中でも最も人権と抵触することの明らかな逮捕について、その令状の発付および執行いずれについても、わが国の刑事訴訟法には、これをチェックし救済する規定が存在しない。

逮捕は法四二九条一項の準抗告の対象たりえないというのが、貴裁判所の判例である。その理由の一つに、逮捕による身柄拘束は比較的短期であり、それに引き続く勾留請求の段階での審査が保障されていることが挙げられ、原裁判所もこの旨判示する。

しかし、七二時間という時間は決して短期とは言えないばかりでなく、勾留請求却下率が0.29パーセント(昭和六一年度)という現状からして、勾留状発付の段階で充分なチェックがなされる可能性は極めて薄いと言わなければならない。

何よりも、いかに無罪の明らかな者であっても、一旦誤って嫌疑を受けてしまった以上、身体の拘束を受けた後でなければ救済措置をとりえないという法制自体が、いかにも不合理である。

右法文中に、最も人権侵害の危険性の強い逮捕が欠落したのは、重大な立法のミスと言わなければならない。

従って、右のような法の過誤が存する場合には、他の法制によって救済をはかるべきである。

原判決は、漫然と、「誤って犯罪の嫌疑を受けた者は、民事訴訟においては事後的にのみ救済されるもの」と判示するが、右判示は、法の適正な手続きを定めた憲法三一条に違反するものである。

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